2015年6月29日月曜日

にちじょう の おと

朝起きると、必ず隙間で寝てる人


涼しいのか、硬めの床が好きなのか。。。


そして、ママの生まれ故郷、東京湾で、泥遊び


やっぱり、海は楽しいな〜
泳げない海でも、楽しみ方は色々

昔は、遊泳禁止と言われようが、スクール水着を着て勇んで泳いだものよ



ばーばがなかなか来ないから、マクドナルドに行ってみた

荷物持ちの息子くん、なんとも言えない表情でポーズ



最後は、ちょっと決めポーズ!

10年前、お母ちゃんは同じ場所で、よく観覧車眺めながらもの思いにふけっていたんだよ

歴史が詰まった、臨海公園

ちょっと散歩するだけで、4歳くらいの小さい私が、岩に座って絵を描いてたり、学生時代のちょっと斜に構えた私が、孤独感いっぱいでうなだれてたり、たくさんの私と目が合うのです。


よく、歌謡曲なんかで目にするけど

なんでもないようなことが、幸せだったと思う

これを、実感する毎日です。



朝起きて、吸い込んだ空気が新鮮で嬉しい

寝起きの息子の表情が、可愛い

夏空の、どこまでも通り抜けるような青が、清々しい



海の中にいる時、海水の存在には、気付かない

幸せの中にいる時、幸せの存在には、気付かない


ちょっと、苦しかったけど

一度、出てみたから、知っている

ココが、どんなに幸せで溢れているのか


あとは、もう、想い出すだけでいいんだ

あとは、もう、ありのままに還るだけでいいんだ


幸せの波紋は、ひろげようとしたって、ひろがらないよ

力を抜いて

ちからを ぬいて

ゆっくり、そこに、在ったとき

じんわり、じんわり、ひろがってゆく



Om shanti

2015年6月23日火曜日

ハルうさぎ

一年で、一番太陽のパワーが溢れる、夏至の日

私にとっての、大切で愛おしい陽だまりのような存在が、空へ還っていった



ありがとう

ごめんなさい

ゆるしてください

あいしてます




苦しむ姿を見て、何度も思った

もう、楽になって、いいんだよ

でも本当は、楽になりたかったのは、私の方だった


でも、彼女は、最期の最期まで

生きることを、やめなかった



生ききること

命を、全うするということ



物語のように、ぱったりと潔く命尽きるのではなく

ゆっくりと、ゆっくりと、じりじり消えていく、炎のように。



死の直前まで

呼吸すらままならないのに

大好きなパイナップルジュースと

大好きなクッキーを前に

生きる最期の力を、出しきって、食べていた。



もう、数日、ちゃんと食事してないのに

赤ちゃんの頃以来おあずけされていた、大好物の味を、忘れてはいなかった



諦めるんじゃなくて

ふさぎ込むんじゃなくて


命が燃えている限り

命を、まっとうしよう



そんな大切なことを

小さくて軽くなった彼女が

彼女の命を通して、教えてくれた


私は、一生、忘れない

そして、生ききることで、彼女と、生きよう





腕の中で、命が燃え尽きる、瞬間

それはずっと、恐れていた瞬間でもあった

けど、それは

こんなにも愛おしく

こんなにも幸せで

こんなにもありがたい瞬間だったことを、知った


暖かくて、柔らかくて、大好きで

ありがとう、ありがとうって

ありがとうしか、出てこなくって


あとはもう、言葉にならない声しか、出なかったけど

心は、温かい感謝と愛情で、満ちていた。


なんだ

怖いものって、なにもないじゃん


色々なものが、ただひたすらに怖かったけど

怖いものなんて、一つもなかったんだね



ハル、いつもそばに居てくれて、ありがとう


安らかに、ひなたぼっこを、楽しんでね

大好きだよ



2015年6月15日月曜日

ずーーーーーーーーっと、心の奥底にひっかかっていた言葉


『かわいそう』



この言葉の正体が、やっとっやっと、出てきた


全てが必然で

全てがそこに在って

ただ

気付くが気付かないか、だけだった





私の生まれ育った家族は、感謝が足りない家だった

今も、感謝してるのに、どこか上っ面で

心の奥が、乾いていた


言ってる言葉は、ありがとうなのに

やってることが、ありがとうじゃなかったり


受けたものは『ありがとう』のかたまりなのに

『ありがとう』って、素直に言えない人達



私はいつも、この家族の中で「変わり者宇宙人」だった

だって、誰も、本質を見ないのだもの

誰ももらすことなく

「ナニカ」から、逃げている


今日、ふと思い立ち

『ありがとう曼荼羅』

を、やってみた


とにかく、思いつく限りのありがとう、を

小さく小さく書いていく


そして、書いていて、出てきたこと

それが

「私は、家族が大嫌いだ」

という、正反対の、溜めていた感情



いつのまにか、大嫌い曼荼羅に。。。

でも、そこにいったから、わかった

みんなが、ナニから、逃げているのか



私には、発達障害らしきものを持った、兄がいる

私は、産まれた時から、この兄を、嫌っていた

正確に言えば、どう接していいか、遺伝子レベルでわからない、だった



それは、多分、母の感情

母は、兄の障害、もとい、兄のギフトを、見てみぬふりしている

かれこれ、40年


きっと、私に突出したこの感情は、母のお腹から、引っ張りだしてきたもの

そして、父も、母も、兄も、姉も

気付いているのに、見てみぬふりして、過ごしている


これは、大いなる、いじめだ。

あぁ、そうか、と。

そのことに、今日、初めて気がついた



私の使命は

「存在の祝福」を伝えること

それはきっと

兄に、家族全員に

存在の祝福を、伝えにきたのだ




あ〜〜〜〜〜〜〜〜

いっぱい泣いて

いっぱい嫌って

いっぱいいっぱい感情を出して

スッキリ


朝から、愛の歌を聞いたからかな

ありがとう


2015年6月10日水曜日

美しいもの、たくさん

もっと、吐き出しなさい、と、身体が言う

もっと、産み出したい、と、身体が言う

もうこれ以上、何も入れないで、と、身体が言う

無視していたら、身体が痺れるように、なってきた


身体は正直者

もっと、ちゃんと、声を聞かないとね


今日は、そんな

声なき声を聞きに、堀切菖蒲園へ


菖蒲園へ行く途中、本物のトケイソウを初めて見る。
感動。。








菖蒲もあじさいも、目一杯咲いてた

ただ、美しい

あ〜。。。しあわせです


こんなにも美しいものが

たくさん、たくさん、ある地球


これから、地球のこともいっぱい考えて

いっぱい行動する

自力が余って仕方が無いことに、気付いてしまったので。

自分の有り余る力を、惜しみなく出し続けたい

今日は、まず、その一歩

どんな花が、咲きますかな

2015年6月9日火曜日

内包しているもの

自然



それは、とても雄大で

寛容で

脅威で

言葉が消えてしまうほどの

パワーの塊



人の身体の中には

外の自然と同じように

自然があり、宇宙がある


女性は特に、大自然そのままのものを、内包している



ゆえに、美しく

寛容で

時に、腰をぬかすほど、こわい(笑)



自分が内包している自然の威力に

ただただ打ちのめされています。


あ〜

くるしいな〜

こわいな〜



でも、知っている

知っちゃっているから、止められない


この自然の壮大なる威力が

この世で生きる限り

絶対的に、必要だということ。



だから、打ちのめされよう

とことん、翻弄されよう

苦しいけど

こわいけど




大好きなランタナに力をわけてもらいながら




宝石のように輝く、あじさいに慰めてもらいながら



ただただ、味わうのです


2015年6月7日日曜日

それでも、生きる理由

洗濯物を干していて、ここ数日、なんとなく頭に浮かんでいたピースが綺麗にハマった。

あぁ、だから生きるのか、と。



バリバリ音をたてるように生きていた頃の私は、想像もしていないだろう

頭が壊れるくらい考えて

周りの人が、絶賛してくれるような『答え』でも

これは、違う。と。

絶対にだませない心だけが、いつまでも膨れっ面で。

答えを持たぬまま

偽物の『答え』をぶらさげて、身体と心を酷使することでごまかしていた、あの頃。




まさか、洗濯物を干している専業主婦が

その『答え』を、持っているなんて。


あの頃の私が聞いたら、間違いなく、認めないだろう



『体験するために、生きている』



きっと、理解出来ないだろうな。





昨日、髪の毛くらいの細さの紐を編み込んで、ブレスレットを作っていました。

大きな時間から見たら、人間の営みなんて、ほんとちっぽけで

砂に書いた曼荼羅のように

それは、残らず消えていくのに



なんで私は、こんなに細かい作業を、続けているのだろう

なんだか、ちょっと、むなしくなった。


そして、朝、洗濯物を干す私に降りてきた答え。



『体験するために、生きている』



自分の時間を、未だ見ぬ誰かにGIFTする

それは、ただ一つの真実を伝えるため


『存在の祝福』


私は、この言葉を、言葉と言葉ではない何かを使って、伝えていく。


そして、その行為に結びつく、全ての人生の体験は

ちっぽけで空しいものなんかではなく

大きく、美しく、素晴らしいものなのです。






2015年6月4日木曜日

自分のポケットを探ったら

中学生の頃の自分が出てきた。



両親が離婚して、その寂しさや不安を、誰にも話せなかった、あの頃。

平気な顔をして生きることが、私を平気にさせていた。

けど、本当は、寂しくて悲しくて哀れで

無くしたものの大きさに気付くことが、計り知れない恐怖だった。



みんなが持っているのに

私は持っていない


それが怖くて

恐怖は、私に嘘をつかせた。


私を、守るために。



親友が欲しかった。

何でも話し、わかり合える友達。

嘘をこれ以上、つかなくていいように。


嘘は、一時、私を守り

その後、長きに渡り、苦しめた。



今なら、わかる

本当のことを話せる友達が、いないと嘆いたあの頃

でも本当は、親友になりうる人々は、常に周りにいた、ということ。



固く閉ざした心を開けば、いつでもみんなが、親友になりえた、ということ。


ただ、怖かった。


あの時は

怖さ、と虚栄が、手をつなぎ

私を守っていた。


今なら、わかる

自分の足で、しっかり立てば

守られる必要がないのだと


真の自分で立った時

世界は、宇宙は

全てのものは

私の味方だから。



守られずとも、何も怖がる必要が、なくなるのだ。


心を開きなさい

真我に向かいなさい

可能性と、尊さを、学びなさい


それは常に、外側でなく

内側へと向かうのです。


光り輝く、自分の姿

光を、じっくり、見つめてごらん

そこに、全ての答えがある。









2015年6月3日水曜日

いつか来た道へ

6月に入り、加速している。


何が、と言われると、大き過ぎて、普遍すぎて、うまく説明できないのだけれど。



冬の間、下に下にと根を生やし

全てのタイミングが揃った時に

一気に芽吹き、花咲くように




花開く時、それはそれは、もの凄いスピードで

それは、ありのままの、命の輝き



ずっとやってきたこと

一生懸命に、ではなく

なんとなく、好きで気が向いた時にやってみる程度のこと


それでも、ずっと、握っていた

好きだから



そしたら、6月の妖精と目が合ったようで

全然うまくハマらなかったパズルのピースが

バババッ!っとはまり、見事な絵になった



自分の中にある大きなもの

この道をゆけば、今の私の周りにある景色は、確実に変わるだろう



好きだけど

好きなのに

一緒に居ると、苦しくなってしまう


自分の場所に、戻ろう、と決めた。


誰のためでもなく

自分のためですらなく


あるがまま、自然の流れに

偉大な流れに、身を委ねる